幼児言葉
先日、職場の休憩室で同僚2人と雑談をしていた時のことなのですが、
新人の職員さんが「(利用者さんに対して)つい言葉遣いが子供に使うような口調になっちゃうんですよね」と言っていた。
別の同僚が「あー。認知症の人と子供って共通点確かに多いもんね。ウチでも1歳の娘に『それ触っちゃだめよ』って5回くらい同じこと言ってもまだ触ろうとするからこの子は認知症なのかしら...って思うときあるもん。ここの利用者さんも説明して服を着せたはずなのにいつの間にか上半身裸になってるくだりを5回繰り返したりするもんね」と続く。
私も「そうですね。食席にいるはずなのに食便てしてニコニコしてるその人見たら、生きとし生けるものとして5周くらい回って逆に可愛く思えてきちゃいますよね」と発言したら若干引かれつつお菓子をもぐもぐしながら次第に弄便エピソードへと花を咲かせていきました。
閑話休題。
今回は「幼児言葉」をテーマに記事を書きます。
介護の現場において、利用者さんに対し「幼児言葉」を使用するのは適切ではありません。
その方の尊厳を傷つけるしまう行為だからです。
なのでどの施設でも接遇の強化を目標に掲げているところは多いです。
まぁ接遇に関しては各方面でたくさん取り扱われているでしょうから特にはふれません。
今回掘り下げていきたいのは「どうして幼児言葉が介護現場で使われてしまうのか」です。
ところで子供ってかわいいですよね!
動いている姿や寝顔を見ていると愛おしくなってしまいます。
人間以外にも多くの動物で幼いうちはかわいいらしいと思わせる外見をしています。
なぜ幼い動物は可愛い容姿をしているのかといえば、その特徴が大人の愛情行動を引き起こし「保護欲」や「庇護欲」を生じさせるのだそうです。
可愛らしい彼らに対して私たちは「幼児言葉」を使います。
それは「やさしさ」や「いとおしさ」といった内面が外側に出る際に生じる愛情表現の一つだからです。
介護施設に当てはめてみましょう。
雰囲気やたたずまいが可愛らしいおばあちゃんやニコニコ天然なおじいちゃんの利用者さんもいますが、概ね高齢者の方々は風格のあるお姿をしていらっしゃるので「守ってあげたい」といった感情は発生し辛い条件ではあります。あくまで生物的視点でね。
まぁ私は生物学にまったく精通していないですが、感覚として「好意にしたい利用者さん」や「あまり関わりたくない利用者さん」がいます。
仕事なのでやるべきことはやりますが介助の際、内面の感情には大きな差異は生じています。これはまぎれもない事実なのです。
しかし現実問題、介護施設で生活のサポートをしていかなくてはなりません。
では、どうやって「保護欲」や「庇護欲」を捻出させるのか。
それが「幼児言葉」なのではないか と私は思うのです。
自分の本能にあらがい、相手の安全や生活を守ってあげたいという「理性」を懸命に駆使した結果が愛くるしい者たちに振る舞う姿のそれになってしまうのではないかと考えています。
職業倫理としてサービスを利用している方に、まして目上のかたに「幼児言葉」を使用するのは不適切です。その考えの在り方は正しいとも思います。
ただ、「幼児言葉」を使ってしまうその根源は否定や嗜められるようなものではないはずです。
自身の内面にある優しさを引き出そうとしているその姿勢は受容すべきものなのではないか。
表現の仕方が上手く噛み合っていないだけではないか。
介護は「低賃金」「重労働」「職場での人間関係が良くない」という側面が強く押し出されて不人気職種なのですが、何よりも根本はその仕事内容にあまりにも「受容」してもらもらえる機会がなく感情的報酬を得づらいからだと考えています。
多種多様な考えが許されている現代で「介護」のあり方は時代に取り残されている感があります。
とは言え目上の方、サービスを受ける側の立場の方に対してくだけた言葉使いを許容する世の中があってはならないと思うので難しい問題です。
私は介護の仕事が水に合っているので介護職が残り続けて欲しい職業ではありますが、いずれ未来の介護はAIやロボットが代替するようになって、私たちが老後をむかえる頃には無機質なものに囲まれて生涯を閉じるのが当たり前になっているかもしれませんね。。。