お気に召すまま

自分の考えを文字化して表現する練習をさせていただいています。あとストレス発散です。

孤独の介護

介護は介護が必要な人の生活をサポートします。

日々の生活をサポートするというのは他者から評価されにくいです。

人同士のやりとりのため数値化が難しく、室内で密室だから見え辛いのです。

 

仕事として介護に従事している人は会社から給与という報酬を得ているのでまだマシだけれど、肉親やパートナーとか義理の親の介護はとても大変だと思う。

 

周りが同じような負担で介護が必要な方を支えられるのなら自宅での介護でもなんとか可能かなぁとも思いますが、実際は子供やお嫁さん、配偶者が少数あるいは一人で支えている。

周りにほぼほぼ丸投げされて介護をされている方の孤独は計り知れない。

はたから見ている人は介護に携わらないから苦しさを理解することは出来ないし、避けられる苦労であるならば他の人に押し付けたいのが人の心情のはずですから。

介護が必要な人には介護する人が支えてくれるが、介護する人を支えてくれる人はそうそういない。

 

今の介護は孤独だなと思う。

一人でなんでもしなければいけない。孤独は人の視野を狭くする。

心に余裕がなければ人に優しくなんて出来ない。

「頑張ってるね」なんて上辺の労いなんていらない。「手伝うよ」と言って実際に苦労を共有してあげる事の方が介護には必要だと考えます。

それが介護をする人にもされる人にも助けになる。

 

介護の仕事をしてきて感じた事があります。理想の介護としてカタられているような、利用者さまの尊厳を守り、その人がその人らしく生活できるよう日々を支えていくという理想はおそらく可能だということ。

でもそれは可か不可かと言えば「可」というだけであって、実際に行えるかは別の話です。

上記の理想的な介護を行うには多くの時間と労力を要します。実行すれば介護する人は自分の人生の多くを費やさなくてはいけない。自身の力で日常生活を送るのが難しい方を支えるのはそれくらい大変な事だと思うのです。

 

在宅で介護されている方は凄いと思う。

自分でない誰かを守るために 自らの人生を削って、誰かに賞賛されるわけでもなく、時には献身している相手に文句を言われ耐え続ける。

介護から解放されたとしても物理的に得るものはない。優遇されることもない。

 

「親の面倒は見るのが当たり前」、「弱者を助けるのは当然」

そんな数十年の固定観念はいらないです。数百年前は山に親を捨てていたし、権力者は気に入らなければ弱者を斬り捨てていたらしい。

なるたけ自分の負担が少ない介護を見つけた方が良いです。見つけ方が分からなければ役所にでも行ってどうにかしろと丸投げすればいい。少なくとも理念には市民の役に立つ事を掲げているので本望のはずです。

 

私は介護を行う時、オーバーワークにならないようにを心掛けています。

とにかく自分に余裕を持たすようにします。

頼れる時に人にお願いする。その代わりに頼まれた時にお手伝いする。

施設は人員不足で大変ですが「なるようになる」くらいの気持ちで臨みます。

それが結局betterな選択なのかなぁと現時点では思います。